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【2001】編

南社長のイタリア旅行記 2001 ⑩

2001年4月13日(金) 
日本に帰る日

今日は日本に帰る日である。
なんと午前3時30分起床。
少々雨が降っている。

5時にチェックアウトして、
6:30分の飛行機にてウィーンから
一路アムステルダムへ・・・。
そこで5時間の接続時間があるので、
買物しながらブラブラしてみる。
ここのトイレの男性便器も背が高い・・・。

1時50分の千歳経由、名古屋行きにて日本へ。
機内約10時間、前日は2時間寝ただけで、
興奮して眠れない。

日本時間 4月14日7:05千歳着。
こんなに長い期間を旅行で留守にするのは
最初で最後のような気がする。
北海道の空の下、空気うまい、煙草うまい、
疲れたが楽しかった10日間は、
あっという間に終わりを告げた。

南社長のイタリア旅行記 2001 ⑨

2001年4月12日(木) 
ウィーンの歴史巡りのツアーに参加

午前中は美術館へ行くことになった。
バロック~アールヌーボーの絵画を観る。

もともとは、この地方の
王様の城を美術館にしたてた館物である。
午後からウィーンの森へ向かう。

日本人のガイドがついて日本人6人のツアーだった。
我々4人とドイツに住んでいる
日本人医師夫婦の組み合わせ。

11世紀前後の話が中心、
地理、歴史、経済は同一のモノだそうだ。
学生時代の勉強不足を悔んでも仕方ないが、
歴史はなかなか難しい。

日本史と世界史が平行線になって、
それからぐるぐる回る。
歴史が解らなくても館物や風景は体で感じられるのだ。
左脳はダメみたいだが
右脳はギンギンと、歴史を感じている。

ウィーンの森は土地の名称である。
アウトバーンが渋滞して、
1時間近く遅れてウィーン着。

日本でなじみのコンビニ「SPA」にて、
卵とキャビアを買い、
日本から持って来たインスタントごはん、
ミソ汁、生タマゴで食事、
うまいっ。
やっぱり日本を忘れることはできない。

南社長のイタリア旅行記 2001 ⑧

2001年4月11日(水)
ブタペストで思ったこと

5:30起床。ホテルのバスで半身浴をし、
連日の足腰の疲れをいやす。
今日はウィーン西駅から列車にて
ハンガリーブタペスト東駅へ行った。

この東駅は西駅、南駅とある中で
一番治安が悪いとの話なので、
ちょっと用心しなくてはならない。

列車がウィーンから東へ進んで行くと、
窓からの景色が古びて寂しくなっていく。
走っている車も日本の
昭和30年~40年代を思わせる雰囲気だ。

ブタペストに到着すると、案の定、
人相の良くない連中がたむろしている。
シリングからフリントにお金をチェンジし、
手数料で生活している様子。

ブタペストの街並は、古びた感じのビル達の中に、
西側経済が急速に入り込んできた感じである。

いままで見てきた、ヨーロッパの統一感のある街並みから、
一転した風景が広がっている。
風情のある古びた建築物に真新しい原色の
看板がかかっているのが、妙な具合に見える。

新しい経済と新しい西側の文化を取り込み、
彼らは自分たちの歴史や経済を忘れようとしているのだろうか。
いやこれは歴史の必然なのかもしれない。

言葉がまるっきり理解できないので、
中華料理屋へ行くことにした。こんな中華料理あるのか!
と思いながら食べる。

だけど支払一人は750フリント(日本円で300円)と
、とにかく物価は安いので助かる。
そしてなぜか街には
スズキの車が圧倒的に多いのに気がつく。

5時のオリエント急行にて、ウィーンへ戻る途中の
スロバキアを出るときに検問があったのでビザ提示。
ちょっとどきどきする。


南社長イタリア旅行記 2001 ⑦

2001年4月10日(火)
ウィーンのホテルにて

6:30分チェックアウト、送る荷物をフロントに預けて
マルペンサ空港へ。
最後まであいそうの悪いホテルであった。
同じところで乗ったタクシー3度、
全部金額がちがうすべてボラれたらしい。

11:05KLで一路オーストリアへ出発。
ウィーンへは12:30に到着、1時頃、
ついてそのままグラーベンホテルにチェックインした。
ここのタクシーのおやじはいいやつだ。
ここなら住んでも悪くなはい、好印象を持った。

土産に買ったワインをバッグの中で割ってしまう。
非常に残念だ。
今回はホテルに入ってすぐ汚れ物を洗濯。
広いバスタブに僕のかわりに
パンツやシャツがおよいでいる。

ホテルでなんだかんだの終了後、市内観光をする。
とにかく古い建物が多い。

ふるいにもかかわらずとても街並みがきれいである。
コンビニのスパもあるし、いいぞいいぞ~。
夜は市内周遊バスにてあっちこっちを廻って、
なんと新酒ワイン居酒屋やウィーン音楽を堪能した。

南社長イタリア旅行記 2001 ⑥

2001年4月9日(月)
回転寿司ふたたび

朝一番で日通のペリカン便に電話を入れて
明日荷物(皆んなで集めたカタログ)を
集荷してもらう様に手配した。

その後またミラノ駅から北部のストレーザへ行った。
保養地である水と森とアルプスが美しい街・・・。

10世紀前後、いやもっと前からの歴史を勉強していないと、
単に”きれいだ”だけで終わってしまいそうである。
ほんとうにもったいない・・・

昨日朝、会社に電話を入れている人が来たという話を
聞いていたので安心している。
日本を出てから初めて”ホッ”とした一日、ミラノに戻り、
また、寿司を喰いに行く、回転寿司である。
ネタは悪いが商売は上手いようだ。

夜はホテルに戻り梱包をした。

南社長のイタリア旅行記 2001 ⑤

2001年4月8日(日)
みんなでカタログ集め

今日は朝、8時過ぎにIさんから電話があった。
11時に”ロゼ”のブース前で待合せをして、
その時間にその場所へ行く途中でTさんに会った。

少しだけ立話しをしたが、
メリハリのある顔とお尻ばかり見続けていたので、
のっぺりした顔とお尻に日本を感じた。
Iさんと1時間30分一緒にいた後、
又カタログ集め競争をする。

2日間足を棒にして回っても、
モダンのブースのみで終り、
しばらく家具は見たくない
(クラシック家具は見ていないのに)と思った。

夜、前日に予約を入れておいたレストランへ行き、
我々4人とIさん夫婦と6人で食事をした。

最初はおとなしかった6人がワインを飲むほどに
イタリア風になっていく。
いつのまにかレストランで一番うるさくて、
飲んで食べる客にみんな変身してしまった。

さてさて飲んで食べて、
騒いで一人約6000円ぐらいかかったが
大満足で帰ってきたのだった。

南社長のイタリア旅行記 2001 ④

2001年4月7日(土)
サローネで「本業の家具の展示会」

イタリアから愛をこめて日誌をつづっているが、
ここではなんと、土曜日の午後から月曜午前中まで
店は休みになるという。

バカンスもなく夏もけっこう働きづめの人が多い、
我々日本人には考えられない事である。
それにしても強制的にでも自主的にでも、
とにかく休みをみんな一斉にとれば
怖くないなあなんて思った。

ミラノのサローネで「本業の家具の展示会」を見た。
やっと旅行の目的が達成できた。
でもとにかく出店数の多さに驚き、
ゆっくり見るというよりカタログ集めに来た感じである。

家具の一点一点を、実にきれいに見せる
ディスプレイーの上手さには驚く。
家具そのものは仕入ていた情報と同じで、
あまり感動はなかった。

10時30分より、昼食をはさんで、
午後4時30分までカタログ集めに走り廻る。
ほんとみんなタフ。

夜は夕方よりドーモの寺院を見て、
その荘厳な雰囲気と大きさに感服した。

その後は地元の百貨店で商店を見て歩いた。
夕食のために、ガイドブックに出ている店へ
2軒に行ってみたが、どちらも全て満員でことわられる。
悔しいので近くのカフェで食事をしてホテルに帰った。


南社長のイタリア旅行記2001③

2001年4月6日(金)
ワイン展示場にて・・・

4時に起き、眠さをこらえながら6時にフロント集合。
7時の汽車でベローナへ向う。
8時30分、ベローナに到着、
駅のサンドウィッチで腹ごしらえした後、
ワインの展示会場へと急ぐ。

地元の農家(製造者)や卸商など4000社が出展している
大きな展示会なのでこれは見逃せない。

もちろんワインのティスティングをして歩いた。
ワインの味についてはまったくの素人だったが、
いろいろ飲んでいくうちに、
いくらか違いは理解できるようになってきた。

昨日とうって変って晴天に恵まれ、本当にうれしい。
午後6:50時発のミラノ行きにてベローナを離れ、
ミラノに向かう。

午後8:00ミラノ到着。
ミラノ駅は全体が伝統を感じる作りになっている。
日本からもってきた地図で確かめて、
目的のホテルまで15分ぐらいだろうとたかをくくっていたら、
なんと駅から50-60分歩かなければならないほど遠かった。
重たい荷物を持ちながら歩いたので本当に疲れた。

やっと着いたと思ったら、
ミラノ コンコルドホテルフロントの態度が最悪・・・。
第2次世界大戦では、日本とは同盟国なのに
”ムッソリーニにいいつける!”なんてことはないのだけれど、
それぐらい腹がたった。

夕食は、遠藤という寿司屋へ、
しかしここの従業員の態度も悪い。
どこが寿司だ、何が和食だという感じである。
駅から歩いて疲れているからよけい腹が立つ。
トリプルルームにてぷりぷりしてねる・・・。

南社長のイタリア旅行記 2001 ②

2001年4月5日(木)
時差を超えて、飲み!食べる・・・

7時起床、トレビーゾのホテルはシングルだった。
その日の8時に食事。午前中は街を散策した。
ここはミラノよりブランド品が安いとの事でお土産を買う。

11時にHさんと合流。
彼女はイタリアへオペラの勉強で来ていて
現地の人と結婚した方である。

そして知り合いのSさんと取引のあるワインの
卸をしている会社で働いている女性でもある。
午後ベネチアへ行く予定であったが、雨が降り、
ベネチアは床上まで水がでているとの事で中止になった。
さすが水の都である。

昼過ぎからまたトレビーゾ観光。
トレビーゾは、人口8万人の緑豊かな美しい街である。
北見市と同じ人口ではあるが、
ここには一流ブランドメーカーのショップが
こぞって店を出しているのだ。

なぜなのだろう・・・この人口で、
商売がなりたつのだろうか?
想像するに、たぶんお年寄りが
お金を持っているのではないか
という気がした。 これはあくまでも推測ではあるが…。

イタリアの社会保障の違いを改めて考えると…
50才過ぎると年金生活でその支給は80%、
すべてそのお金を老後?に使うとか…。
それにしても年配の
お洒落なカップル達が町を闊歩する姿は気持ちの良いものだ。

2時からおそめの昼食。ワインに始まり、
デザートに終わるフルコース。
食べて飲んで大満足。

昼食に約2時間あまりを費やしホテルに戻ると、
今度は7時より晩ごはんである。
これがまた12時まで続いた。
強靭をほこる僕の胃腸もさすがに飲み食べ過ぎの為に
具合いが悪くなりそうだ。


南社長のイタリア旅行記 2001 ①

2001年4月4日(水)
憧れの!?国に到着・・・

TさんとKさんとYさんと僕は千歳空港、
国際線搭乗口に12時に集合した。
千歳、230発KL870便にて、
ロシア上空を飛びオランダ、アムステルダム、
スキポール空港に向う約10時間の飛行である。

機内食3度で、まるでブロイラー状態。
足はむくみっぱなしになり、
座りながらストレッチをしてしのぐ。

明るい日ざしのまま、
現地時間18:30にアムステルダムに到着、
初めての異国。
廻りは皆外人…というか僕が外人なのだけど。

駅のトイレの便器の高さが違うのに気がついてびっくり。
背延びぎみに放尿せざるをえない高さなのである。

美しい陶器の便器の中に縄の文様があり、
よく考えてみると「こぼさない為の知恵(注1)」だった。

本来なら9時30分発の飛行機
ベネチア行きが2時間半遅れて、
ベネチア到着が、11時のはずなのに
深夜1時30分を過ぎてしまう。
空港にS氏がタクシーを待たせていてくれたので
とてもありがたかった。

ベネチア空港より走る事30分。
トレビーゾのカールトンホテルに到着、
チェックインの後、ピザとビールを食べた。
そのあとさらに真夜中にもかかわらず、街を歩く。

寝たのは午前3時30分。
時差のせいかなかなか寝つけない。
1日目は訳が解らぬまま、24時間が過ぎたのである。


(注1)アムステルダムのトイレの
男性用便器にあるハエの絵…
時差を超えてやってきたアムステルダムのトイレで
南社長が見たものは便器の中のハエの絵。
なんとこれはこのハエに向かって放尿せよとのことらしく、
そうすると自然に便器を汚したりの
そそうがなくなるのだそうです。
合理的な中にもユーモアのあふれるはからいですね。

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